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硝子の美の世界

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メインサイトのほうで、現在、乙女の和骨董特集をしています。

今回の主役は、ガラスのものたち。

優しく 大事にしてあげないと こわれてしまう
時代から取り残されたものたち・・・

というところが、尚のこといとおしい。

ガラスの美しさについて考えるとき
思い浮かべるのは、いつも森 茉莉さんのことだ。

「生来、硝子好きである。
好きより狂に近い。
水晶は硝子よりも高級なものだが、私の好きな曇りが足りない。
水晶の板をおいて水晶越しに何かを見ても、
むろん対象物ははっきりとは見えないが、
水晶は硝子よりも明澄で、
明晰な頭脳の如くであって、
なんとなく朦朧とした魔もの性がない。
硝子には不透明な美がある。
不透明な魔がある。
硝子でも高級品は魅力がいくぶん足りない。
ボヘミア硝子とかヴェネチア硝子とかがそれである。
今はなくなったが、ラムネの青いびん、水泡が入っている、
ぶ厚い、酒屋の立ち飲み用のコップ、
氷屋のコップ、それから幼い私が病気のときにながめた薬のびん。」


私の美の世界 私の美の世界
森 茉莉 (1984/12)
新潮社
この商品の詳細を見る



この文章は、↑に収められているある文。

硝子の美しさをあまりに適切に、
書き綴る文章がすばらしく、かねてから私も硝子が好きだったけれど、
この文章を読んで尚のこと、硝子に惹かれ、
茉莉さんのように硝子越しに世界を朦朧と眺めてみたくなり、
しばらく、いろいろな場所へ硝子を求めて、歩いてみた。


が、なかなかない。

高級な硝子なら、百貨店に行けばあるのだけれど、
茉莉さんが恍惚と眺めたであろう、以前は生活の中にあったであろう
古い、なんでもない硝子が なかなかない。


骨董屋さんに行けば、有る程度は見つかるけれど、
デザインや、気泡の色の具合、
そして何よりお値段との折り合いがなかなかつかない。


それでも、今回、なんとかやっと、
自分の気に入るものが有る程度集まったので、
このようなFAIRとしてご紹介することができるようになりました。


実際に見ていただけないことが 心苦しくはありますが、
どうぞ、見てやってくださいませ。

http://www.otomeya.net
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精神の贅沢

贅沢貧乏のマリア 贅沢貧乏のマリア
群 ようこ (1998/10)
角川書店
この商品の詳細を見る


週末、古本屋さんで、ずっと気になっていた
このエッセイ本を購入しました。

「昭和63年、安アパートの自室で
ゴミの山に埋もれて孤高の氏を遂げた作家森茉莉。

父森鴎外に溺愛された贅沢な少女時代。
結婚、渡仏、離婚など経て自立。
54歳で作家となり、独特の耽美な小説世界を発表した
後半生の貧乏ぐらし。
「精神の贅沢」を希求し続けた84年の生涯の
頑なで豊かな生き方を、人気作家群ようこが
憧れと溜息をもってたどっていく
まったく新しいタイプの人物エッセイ」

少し前にも紹介しました。
実は、当時、まだ最後まで読んでなかったんです
読み終わった感想は、
「群ようこさんとは、合わないな」
でした。

正しい読み方なんて、ないと思うけど、
んん??って思うところが、ところどころありました。

私は、森茉莉さんに大して、
彼女が現実をどのように生きたかということに
あまり関心がありません。
(フジタには、ものすごくありますが!)
彼女には、彼女独特の美意識にのみ、興味があったので
作品もすべて読んだわけではないし、文芸誌の特集号なんかも見ていません。
なので、この群さんの本から、現実の森茉莉を少し、垣間見たわけですが、
知らなかったほうがよかったかも。
って、ちょっぴり思いました。

人間関係のいざこざや、老いていく生活を
どう維持したか・・・なんてこと、茉莉さんには求めていなかった。
彼女が描いた夢のような世界。
他人がみたら、ごたごたでも、
彼女にとっては、とっておきの贅沢なマリアの世界。
彼女のフィルターを通したその美しい世界だけ、
エッセイから分けてもらいたい。
読み終わったときに、私はそういう思いで、彼女の作品を読んでいたことをとても感じました。
私と同じ思いで、森茉莉さんを愛している方は、
この御本は読まないほうがいいかと思われます。

森茉莉に通じるようで通じないけど。

華族出身、つまり特権階級の人があゆんだ、
時代の流れと、その当時の骨董品、アンティークの価値、
フランスと日本。

そういうものが知りたくて、これらの本を図書館で借りました。

ネットのレビューでは、「ただの自慢話」よばわりもされていましたが、
この著者の本を、まともに読むとそういう感想になってしまうのもわかります。

が、この方は、われわれ凡人とは生まれ持って違うのです。
特権階級があった時代の、まさにお嬢様。
ヨーロッパにいけるのは、ほんのごく一握りの時代。
その時代を歩んだ人の中の、ひとつの女性の生き様として、
彼女の考えたこと、彼女の美意識というものがとても興味がありました。

本を読んで、考え方をまねしたり、
ちょっと高級な持ち物でセレブやら、エレガンスやらといえるのでなく、
それらが、もっともっと特別な、
限られた人だけのものであった時代の、貴重な資料だと思います。

なんといっても、あのフジタと、お仏蘭西のパーティに
一緒にいったという実話までもつお方。
このエピソードだけで、私にとっては、
文句のつけようのない、位の高貴なお方になります・・・(笑)

といいつつ、全部読めないうちに、期限が切れてしまいました・・・

また、改めてお借りしようっと・・・。



私の巴里物語 1950~1989年

私の巴里・アンティーク (1979年)

私の巴里・パリジェンヌ (1977年)

私の巴里・ジュエリー (1981年)

最近の出版物は、写真も多そうで読みますそう・・・

↓↓↓
豊かに生きる 豊かに生きる
朝吹 登水子 (2002/10)
世界文化社
この商品の詳細を見る


私の東京物語―蘇る日々―わが家のアルバムから 私の東京物語―蘇る日々―わが家のアルバムから
朝吹 登水子 (1998/10)
文化出版局
この商品の詳細を見る

テーマ : 図書館で借りた本
ジャンル : 本・雑誌

哀しみは生活の羅(ヴェェル)という潔さについて

作家 森鴎外の娘 森茉莉の語録集。


マリアのうぬぼれ鏡 マリアのうぬぼれ鏡
森 茉莉 (2000/09)
筑摩書房
この商品の詳細を見る



「努力というものを母親の胎内に
置き忘れてきたというマリアのユニークで奇抜な語録集」
と、帯に紹介がしてあります。

おえらい方のように、特集雑誌や、
暮らしぶりをまとめた増刊特集のような本も、
何冊かでているけれど、なんだか、
そんな風にこの人のことを知るのは、野暮な気がする。

だって、彼女は、感性で生きたヒト。
ならば、感性で感じて、それが真実のようなきがするのです。

この語録集には、エッセイ、小説、などの中から、選者が
「森茉莉さんの肉声が感じられるもの」
を選んだ語録集である。

文章は、2~5行くらいの、箇条書のような状態なので、
読書が苦手なヒトや、しんどいな。と思えるときでも、
手軽に読むことができそうです。


作り物のの「精神の貴族」なんて言葉が、
また、若者で古典回帰のような感じでいわれたりもするけれど、
階級もなく、ネットで世界のどこからでもものがかえて、
文学も、J文学なんていわれる今の時代、
「何の野心も持たぬ優雅さ」なんて、
本当の意味では現代に通用しません。

それを無気力といわれようと・・・?
いえいえ、そんなつもりも、毛頭、私にはないんです。
ただ、ほんの少しのこと、たとえば、
お気に入りのタオルや紅茶でほんの少しの幸せで、
たっぷりと幸福を味わったり、
本当はわかっているけど、お気に入りのお洋服で
新しいメイクグッズで鏡を見たときに、うぬぼれたい。
そんな気持ちを、大切だよって思い出させてくれるもの。
それが、森茉莉さんの本。

父に溺愛される娘の、うっとりとするような時間を、
当たり前のものとして浸る名作もすばらしいけれど、
力を抜いて、いろんな茉莉さんの文章をちょっとずつ味わって、
さらに興味があれば、それを手にする。

そんな1冊にできそうな本です☆

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆☆お気に入りの文章☆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
☆志賀直哉の、活字までが重みを帯びて、
深く彫ったように見える文章もいいけれど、
やっぱりロマンチックで甘い、
胸をぎゅっと摑まれるようなものがないと好きになれないわ。

☆なんとなく不快で、不自由な、
楽しむことを禁じられたような境遇を経て、
現在、ボロ部屋といえどもひとつの部屋の城主となり、
天上天下唯我独尊の、夢のような生活に入るや、
私は、再び幼時の硝子を見て暮らす生活に入った。
あるかなきかの薄青を、
そこはかとなく含んでいるアニゼットのあきびん、
ペナン付近の海か、ボティチェリの
「ヴィーナスの誕生」の海のような色のコーラのあきびん、
幼い日々の硝子のように、鈍くて重くて、
やるせないような透明を持っている無色のびんを、
窓際や、そこらに置いて、硝子の中の魔に陶酔しているわけである。


☆心の哀しみ、切なさというものが、
どれほど人間の生涯を美しくするだろう。
私はこのごろ、それに気がついている。
哀しみに満ちた私の生涯が不意に去って、
青い空のような幸福が遣って来るのを来る日も来る日も待っていて、
待っていて、
待ちくたびれた私が、
このごろではその悲しみが、
私の人生を美しくしていることに気がついている。
哀しみは生活の羅(ヴェェル)なのだ。
薄い、綺麗なヴエル。

☆女というものにとって、
うぬぼれ鏡と、褒め手とは絶対に必要なものである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
      
~すべて「マリアのうぬぼれ鏡」より引用

私の美の世界

今日のご紹介本
↓↓↓
私の美の世界

私にとっては、乙女の美意識の古典作品です。
1968年にハードカバーにて出版された当時の帯には「或る幸福論」と、銘打ってあります。

「あのころはよかった」と、よく言われる時代に、
1970年というキーワードがあげられることがあります。
この本を茉莉さんが書かれたころ、よくなくなる風潮がすでにでてきたのでしょうか?
反ヒューマニズム礼賛と題して、現代の風潮を嘆くあたりは、
私にすれば、少し・・・茉莉さんらしくないな~~と思ってしまいました。

とはいえ、健在な、すばらしき幸福の種の数々。
オムニバス本で読むのも、手軽でいいけれど、
やはり・・・発売当初からのまとめ方で読むのが、一番、しっくり来ます。

一番好きだったのは・・・・この本に収録されている
「夢を買う話」。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

「私は何か買う時、品物そのものを買うというよりも、
”夢”を買ってくるような、奇妙な場合が多い。
だから常識人は首をかしげるような損な買いものをする結果になることが多いのは
当然の成りゆきというものである。

(中略)

私は又道玄坂の或る店で、ヴェルサイユ王宮のゴブラン織りを発見した。
その小さな壁かけは、三年前からそこの壁に止めてあった形跡歴然としていたが、
そのために伊太利の運河や橋、岸の風景、すべてが古び薄れていて、
確実にヴェルサイユ王宮のゴブランの色を呈していた。

その色調は、美術鑑定家がみても本物に酷似していることを認めるにちがいないが、
色の褪めた壁かけを値切りもせずに買った私の、
欣然とした顔色を見た商人は妙な顔をしたのである。

ヴェルサイユ宮の森と、
猪の背に飛びかかる猟人を彫った彫刻を織り出した本物のゴブランがあったら
私は魂を奪われるだろうが、買うことはしないだろう。

大金を投じて購うということはただの贅沢であって、
そこには夢がないし、愉しさがないからである。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

いや~~!!なんて素敵な美意識♪
そうなのよ~~・゜゜・(≧∀≦)・゜゜・。
と、ひとりで読んでるのに、心がどきどきときめいてしまいます。

そう・・・・、私が目指したいものも、こういうものかもしれない。

と、えらそうにも自惚れて、思ってしまう。

このほかにも・・・・・
愛するタオルを持つことの、幸せをといた文章のシメに

「恋がなくても、人生は薔薇色になりうる。
 私は恋をしていなくても、
 恋をしている人のような愉しさを持っているということは、
 大変に素晴らしいことだと、思っている」

と、まとめたところもすごく好きだった。

実は、まだ最後まで読んでいないから、
これからさきに、もっとどんなに素敵な言葉がつまっているのかと、どきどきしている。

お読みになっていない方、いかがですか?

毎日の暮らしの中の宝物が、たくさん見つけられるような素敵な本です♪

↓興味のある方は下の文字をクリック↓
私の美の世界
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◇乙女屋◇

Author:◇乙女屋◇
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